パブリックスクール



高くそびえ立つ鉄の門。平日はほとんど開けられることのない正門だ。

街のはずれに広大な面積を所有する全寮制の私立進学校。一クラス30名が5クラス。

中等部
高等部三学年ずつ合わせて900名の男子が在学している。

初代校長がイギリスWinchester(ウインチェスター)校からの招聘(しょうへい=招いてその地位に就いてもらうこと)ということもあり、日本では珍しいパブリックスクールの伝統が受け継がれている。


午前8時20分。高等部2年A class。HR(ホームルーム)


「みんな席につけよ。後ろから、提出の作文を集めて」


作文は毎日の宿題として必ず書かされる。

最低原稿用紙1枚の3分の2行。月曜日が決めら
れた課題で、火曜日から土曜日までは自由課題となる。

前列に集められた作文を順番に取って行く僕に、達彦が3日に1回のお決まりの文句を言う。

「もうこれマジ地獄。毎日何書けってんだよ。・・・守は得意だからいいよな」

いつものことなので受け答えはなしで、まとめた作文を教壇の上に置く。

作文は1時限に授業
を行う先生が持ち帰る。

まだ私語は終わらない。授業が始まるまでのざわついた朝の風景だ。

僕が席に着こうとしたその時、ざわつきが喧騒に変わった。喧嘩だ。

いくら広大とはいえ囲まれた生活には違いない。

ストレスはあって当然でそれはやはり喧嘩と
いう形が一番多い。


「守、山崎と津田だ」

まだ言い合いの段階で、殴り合いにはなっていないので達彦も他のみんなも余裕で静観している。

「・・・達ちゃん、面白そうに見てるなよ。山崎も津田もやめろ。原因は後で聞くから」

山崎の方が頭に血が上っているらしい。

津田は僕が止めに入ったので、ほっとした様子だった。


「何でいちいちお前に理由言わなきゃなんないんだよ!口出しするな!」

「あららぁ、山崎くん?言いのかなぁそんな言い方守にして・・・怖いよぉ」

達彦が半分おどけたように山崎に言うと、他のみんなが続いた。


「そうそう、口出ししないけどぉー・・・」

「手は出すぜ!なっ、白瀬!」

「一撃の左ストレート!」


みんな好き勝手なことを言う。今までの僕ならそんな冗談は無視していたけれど・・・。


「違う、右ストレートだよ」


ドッと沸く。床を踏み鳴らす者。


―ダンッ!ダンッ!ダンッ!― 



指笛を鳴らす者。―ピィ―ッ!―


「白瀬くーん、カッコイイー!」


笑い声と嬌声と喚声が交差する。


山崎は気をそがれたように机に片肘をついて、ちぇっと舌打ちをした。

彼らは上手にストレスを発散する。

勉強と規則と限られた生活の中で、それでも精一杯学校生
活を楽しむ。

それを僕は謹慎中に本条先生から教えられた。

そして謹慎から帰ってきても僕は委員長のま
まだった。

クラスのみんなが変わらず僕を受け入れてくれた。


鐘が鳴る。スッとすべるように教室のドアが開いた。


一瞬にして全ての音が止み、水を打ったような静けさで教壇に立つ先生を迎える。


「起立!」


午前8時30分。1時限授業開始。


先生の声と当てられて質問に答える生徒の声。黒板に書くチョークの音とノートを書き取る音。

時折差し棒がパンと黒板や机で音を鳴らす。

授業は一切の私語なく2時限、3時限、昼休みを挟んで5時限、6時限と淡々と進んでいく。

土曜日も平日と変わらず6時限まで授業がある。

そして授業が終わった後もほとんどのみんな
は夕食までの間、学校の施設をふんだんに使って過ごす。

運動はジムがあるし屋内プールもある。

勉強は授業以外に学年ごとに分かれたスタディルー
ムがあり、先生が必ず数名いるので自習しながらわからない事はすぐ質問できる。


午後3時授業終了。10分間待機。また朝と同じざわつきが戻る。

この10分の待機の間に、みんなそれぞれにこの後の行動などお互い確認しあったり誘い合ったりする。

僕も達彦たちとスカッシュでもしようかと話していたら、いきなり教室のドアが開いて担任の先生が入ってきた。

一斉にまたみんな席につく。

あまり帰りの待機の時間に先生が来ることはないので、何事かと
いった感じだった。

先生は黙ったまま教壇に立つと、何枚かのプリントをその上に置いて達彦を呼んだ。

えっ?と言う達彦の表情が教壇の前であきらかに変わった。

少しの沈黙の後、達彦は観念したように両手の平を差し出して教壇の横側に立った。


「よろしい。では、君のしたことを言いなさい」

先生は右手で軽く上下に振る差し棒を、ぱしぱしと左手で受けながら達彦の方に向き直った。

「毎日の作文・・・出来なくて、つい以前書いたのと同じのを使いました。・・・すみません」

「そんな何の意味もないことをするなら、まだ書かない方がまし。無駄!」


パシ―ン!!鋭く高い音がしたと同時に


「!!・・・―ッ」


達彦は声にならない悲鳴を上げて両手を抱え込んだ。



毎日の宿題の作文はパソコンで打ち出したものを提出する。

提出物は必ずUSBに保存し、そちらは年度末に回収される。


それぞれ学年ごとに月間賞と年間賞があり、賞を取ると学校の電子図書に載り誰でも自由に閲覧が出来る。

電子図書で遡ると、幾人ものそうそうたる名前の人物に出くわす。


達彦はUSBが回収される前にコピーしておいて、それを使ったのだった。

以前書いたものを日付とタイトルだけ打ち直して、そのままプリントアウトして提出していた。

教壇に置かれたプリントは、以前のものと全く同じ作文だった。





「1年前のならばれないと思ったんだけどなぁ・・・」

両手をだらりと下げたまま机の椅子に深く背もたれた達彦がため息混じりに言った。

「達ちゃん・・・スカッシュ無理だね、その手じゃ」

「無理どころか、骨折れてるかも。医務室でレントゲン撮ってもらおうかな。
本当に折れてたら
訴えてやる・・・」

半ば本気とも取れる言い方をするほど、差し棒で打たれる痛みは半端ではない。

チタンの特殊合金で出来ている差し棒は極めて丈夫で細く、且つしなりがすごい。

打たれると棒が
肌に吸い付くように密着して極限の痛みを誘うと、その痛みだけを残して弾くようにまた棒だけが跳ね上がる。


「それじゃついでに尻も撮ってもらえば?カウンセリング室に呼ばれてんだろ」

山崎がニヤニヤしながら言う。

「どう言う意味だよ・・・、おい!!」

「お前だって朝ちゃかしたじゃねぇか!」

今度は達彦と山崎だ。

「お前のはイヤミッたらしいんだよ!」

達彦が席から立ち上がったので、まわりのみんなが達彦を抑えた。

「山崎、達ちゃんをいま刺激するなよ。わかっててするな」

「・・・自分が悪いんだろう、フンッ」

そう言いながらも、少しばつが悪そうに山崎は教室を出て行った。





「何でうちの学校はカウンセリング室で尻叩かれなきゃいけねぇんだよ・・・」

手を打たれた後、達彦は担任からカウンセリング室に来るよう言われた。

あの状況で呼ばれたということは、たぶん達彦は担任から差し棒で今度は尻を打たれるだろう。

わかっていてみんな黙っているのに、それを山崎は言ったのだ。それもちゃかすように。

カウンセリング室は中三部屋に分かれていて、ある程度の違反まではこの部屋で指
導される。

達彦はまだ痛みの引かない手で、ドアをノックして入って行った。



カウンセリング室のドア横の壁にもたれながら、達彦を待つ。

達彦も今の僕と同じようにあの時待っていてくれた。


一週間の謹慎生活が終わり、あの狭い間口からいったん表へ出て通用門から再び学校へ戻る。

通用門の向こうに達彦がいた。僕を見て達彦がごめんと言った。


―守のことを、もっと他のみんなにわかってもらいたくて・・・でもあんな言い方しか出来なくて・・・―


ぼそぼそと話す達彦の言葉にポロリと涙が零れ落ちると、後はどうしようもないほど泣けてしまって僕はただ達彦の前で泣きじゃくるばかりだった。

二人で寮に帰る。

寮の入り口では、あの時達彦と一緒にいたメンバーが僕と達彦を待っていて
くれた。



真向かいの壁に、ハンギングバスケットで飾られた黄色の花がなんだか懐かしい。

・・・オンシジュームだ。ランの仲間で、


―ほら、黄色いドレスを着た女の子が踊っているようだろう―


温室で本条先生が言っていたっけ。・・・ほんとうだ。ほんとうにそんなふうに見える。

こっちの壁のハンギングバスケットにはチェッカーベリー。

ツツジ科で緑の葉に小さな赤い実が
宝石のよう。

達彦を待っている間に壁や廊下の角々に飾られた花を見る。今までは気にもしなかったのに・・・。


その時―


「・・・本条先生?」


大きなワゴンに花を一杯積んで、突き当たりの廊下をレストルームの方へ行く先生を見た。

レストルームは休憩室のようなもので、音楽を聴いたり、本を読んだりして静かに過ごす部屋だ。

少し遠目だったけれどはっきりわかった。

先生は花の世話をしている時の格好そのままの、エプロンに長靴姿だった・・・。



「守・・・お待たせ。・・・守・・・?」


「えっ・・・あっ、達ちゃん。大丈夫・・・じゃなさそうだね」


先生に気を取られている間に、達彦がカウンセリング室から出て来た。しっかりとお尻を擦っている。

「・・・うん、でもズボンの上から2発だけだった。まだ手の方が痛てぇや」

どうやら今回は内容が全く同じだったのが返って効を奏したようで、出来心と判断されたみたいだった。

「先生が見事にコピーだなって。書けないからコピーなんじゃん。
内容を手直しするくらいなら書
くっての」

ごもっとも、と言ってしまいそうな達彦に安心したところとで、僕たちはレストルームへ向った。

普段はつまらないと言ってあまり行きたがらない達彦も、手とお尻が痛い時は別らしい。

僕は何といっても、さっきの先生が気になっていた。


「あぁきょうはもう最悪、こんな時は何にもしないでゆっくり・・・うわっ!」

レストルームのドアを開けた達彦が叫んだ。

壁にぶつかって横倒しのワゴン、転がる花瓶。

積んでいた鉢植えの土がフロアにこぼれて、倒
れた花瓶の水と混じりあって泥になっていた。

色とりどりの花が泥で汚れたフロアの上に舞い散り、赤く燃えるようなサルビアが白く可憐なかすみ草の上に覆いかぶさる。

紫とピンクのパンジーの一群が、テーブルの下で隠れるように割れた鉢植えからこぼれている。

散乱した惨状は生花の匂い立つ香りと重なって、でも不思議なほど美しくも見えた。


その中央に本条先生が立っていた。


14、5名の生徒が部屋にいて、先生と向き合うように対峙している生徒を見ていた。


「山崎・・・」

先生と対峙していたのは山崎だった。

「何だよ、また白瀬か。ちょっとぶつかったんだ」

「ぶつかったんじゃない。蹴ったんだろう、ワゴンを」

先生が山崎の言葉をはっきりと否定する。先生に笑顔はなかった。


「先生・・・とにかく片付けないと・・・」


みんなの表情が途端に変わった。達彦も驚いて僕に聞き直した。

「先生!?てっきり業者の人かと・・・守なんで知ってるんだよ」

格好が格好だけに無理もなかった。しかも規則の名札さえもしていない。

教師は黒の紐で生徒は学年別で色分けた紐の名札を首からかける。


「・・・指導部の先生だよ」


僕のその一言で、今まで二人を見ていた生徒全員が一同に席から立ち上がって壁際に引いた。

山崎だけが先生の前に取り残された。山崎の顔色はもうない。


「クラスと名前」


先生が短く山崎に詰問する。

レストルームではありえるはずのない真反対の雰囲気が部屋に漂う。

壁際に退いた生徒達が次々と部屋を出て行く。2人を見ているどころではない。

指導部の先生と聞いただけで身がすくむ。

先生と山崎。僕と達彦。四人が部屋に残った。

先生は僕の呼びかけに答えない。

先生からすれば僕は指導した生徒のひとりに過ぎない。

忘れられたのか無視しているのかはわからないけれど、先生は山崎だけしか見ていなかった。

少しずつ先生が山崎に歩み寄る。

足元に舞い散った花々を、先生は避けることなく踏みしめながら。

「聞こえなかったかな・・・」

先生は花で散乱したフロアを見廻すと、倒れて転がる花瓶の中からおもむろに5〜6本を束で引き抜いた。

バラの花だ。また素手で握り締める。

倒れた花瓶の水で濡れた花びらから水滴がしたたり落ちる。


ビュッ!!


風を切る音がして、バラの花の水滴が山崎の顔にまで飛んだ。

山崎は拭おうともしない。動けないのだ。


ビュッ!!ビュッ!!


水滴を全て振り落とすかのように2度3度と先生は繰り返した。

三度目の水滴は赤かった。先
生の握り締める手の内側から血が流れる。

山崎の目が先生の手に釘付けになっている。


「達ちゃん、医務室から救急箱借りてきて」

僕の横で達彦も茫然としていた。

「・・・あっ・・ああ、わかった」

達彦が出て行き、僕も出た方がいいと思いドアのところまで行った時、山崎の悲痛な声がした。


「白瀬!おれをひとりにしないで!!」



「違う!!クラスと名前!!」


バシーッ!


「ひっ・・・」


山崎の目の前で先生がテーブルサイドをバラの花で打った。

先生は握り締めていたバラの花を足元に落とした。

一撃で花びらが散り、半分以上茎が折れている。

先生が右手を差し出す。傷だらけの右手だ。


「差し棒」


僕の方は見ていない。でもあきらかに僕に言っている。

どうしたら・・・。

空気が・・・止まる。

息苦しいほどの沈黙が僕と山崎を襲う。


僕にはわかる、差し棒の意味が。

なのに先生は要求する。僕に差し棒を、と。


温室のバラ園で、先生は僕に逃げることを許してはくれなかった。

今も何が山崎と先生の間にあったのかはわからないけれど、ワゴンを倒しただけではない何かがあるのだと。

きっと僕の時と同じ何かが・・・。


僕はその思いで、ホワイトボードの横にかけてある差し棒を先生に手渡した。

山崎の表情がさらに引きつった。

「・・高等部二年A・・山崎 ゆたか・・です」

山崎の震える声がさらに緊張を高める。

「山崎・・・ふぅん・・・」

差し棒を両手でもてあそぶ先生と、詰め寄られてテーブルにめいっぱい背中を押し付ける山崎とでは、もう対峙という状態ではなかった。


「どうしてワゴンを蹴ったの」

「・・・あの・・すみませんでした・・・。
ぶつかった時に足が・・・引っかかってそれが・・・蹴ったんじ
ゃない・・です・・・」


二回目を断定的に言う先生に対して、おずおずとそれでも違うと山崎は答えた。

「わかった。蹴ってないんだね。それじゃ、君がワゴンにぶつかった時僕に何て言ったんだい。
邪魔だ、時間を考えろって言ったんだよね」

「・・・先生だと思わなくて・・業者の人だと・・・つい・・・」

「業者の人になら、ぞんざいな口の利き方をしてもいいのかい」

「それは・・・」

山崎の言葉が詰まる。これはさすがにどう言い訳も出来ないようだった。


「ちょうどいい。君の後ろのテーブルに手をついて。ズボンと下着は下ろす」

その表情で、先生の言うことは理解しているのだけれど体が動かない。

山崎はあきらかに狼狽
していた。

「ここに手をつく!!」


バキ―ン!!


山崎の肩をかすめて、コーティングされたテーブルの表面に差し棒の金属音が響いた。

山崎が手をついたテーブルの上を見る。

天井から吊るされたハンギングバスケットの、あれも
オンシジュームの花だ。


僕は打たれる山崎を見ない。ハンギングバスケットの花だけを見る。


―ほら、黄色いドレスを着た女の子が踊っているようだろう―


そう言った先生が、黄色いドレスを着た女の子たちが踊るその下で差し棒を振り上げる。


パシ―ッ!パシ―ッ!


肌に直接差し棒があたる音だ。軽い音なのに刺すような痛みが走る。

「あぅ・・っ・・」

「どうして打たれるかわかる?」

「・・・生意気な・・口を利いたから・・」

「違うだろう」


パシ―ッ!パシ―ッ!パシ―ッ!


「うっ・・痛い・・先生、すみません!すみ・・」

「それも違う!」


パシ―ン!!


ひときわ高く強い音がした。

「ッ・・・、先生!・・先生・・やめ・・て・・」

痛みに耐え切れず、聞こえてくる山崎の言葉に僕は自分を重ねる。


「君の書いたことは嘘っぱちかい?」

唐突に聞かれ戸惑う山崎の様子が、先生の叱責と差し棒の音でわかった。

「手を離さない!そのまま!!」


パシ―ン!尻を打つ。


肌に、一瞬にして出来る真一文字に引かれた赤い線。

熱い痛みが走り抜ける。


「君・・・山崎君、去年作文で年間賞取ったんだよね」

「は・・はい・・・」

ハァハァと肩で息をしながらも、山崎は少し驚いたように返事をした。


「とてもいい内容だったよ。一年間を通して、自由課題はひとつのテーマを追って書いていたね」


去年賞を取った山崎の作文は電子図書に載っている。僕も読んだ。

人権についてあらゆる角
度から書き綴った逸品だった。


「・・・がっかりしたよ。人を見下すような奴が、人権だなんておかしいじゃないか。
まぁ、僕ら教師
も上っ面の言葉にだまされたわけだけど」

先生のその言葉は、山崎にとって尻を打たれるよりも痛かったかも知れない。

はじめてはっきりと山崎は否定した。手はテーブルにつけたままで。


「上っ面なんかじゃない!あれは、いつか書こうと・・・少しずつ調べてあたためてきたテーマです!」

少し間をおいて先生は静かに言った。


「僕はね、自分から逃げる奴と、自分に嘘をつく奴は許さない」


僕は目をつぶって先生の言葉を聞いた。

レストルームに散乱する生花の雑多な香りは、先生と
過ごした謹慎生活を思い出す。

僕も逃げることを許されなかった。



「・・・書けなくて。賞を貰ってから・・・思うように書けなくなって。ずっとイライラして・・・」

涙が途切れ途切れに、山崎の言葉を切る。

「些細な事で人に当ったたり・・・ワゴンも・・ちょっと足が引っかかっただけなのに、
何だかものす
ごく腹が立って・・それで・・でもあんな大きいのが倒れるなんて思いもしなくて・・・蹴りました」


山崎は嘘をつくことが許されなかったんだ。


「こんなツルツルのフロアじゃちょっと押しただけでも滑るんだから。
大きいほどぶつかる衝撃
は大きいんだよ。あ〜あ、見事に横倒しだね」

「・・・・・・・・・」

「・・・何?あっ手?もういいよ、服整えたら」

少しあっけにとられた山崎が、それでも急いで服を整える。

「君の作文はね、書くというより書きたいって気持ちがとてもよく出てた。
もう一度読み返してご
らん。何のために書いてるか・・・君は気付くはずだよ」

服を整えて向き直った山崎に、先生は言った。

「はい」

山崎の小さくしかしはっきりとした返事で、レストルームの空気が動いた。

僕は部屋の外で救急箱を抱えて座り込んでいた達彦と、遠巻きに部屋の様子を窺がっていた彼らを部屋に引き入れた。

みんなで部屋を片付ける。

横倒しのワゴンを起こして、まだ使える花を選別した。

各テーブルの花瓶の花を差し替える。


フロアも舞い散った花びらを掃き取って、泥は拭き取った。


先生が椅子に座って差し棒をテーブルに置き、僕に右手を差し出す。


今度はちゃんと僕を見てくれている。

「あまりこっちには来ないって言っていたのに・・・珍しいですね」

先生の右手を取って、手の平の血を拭きとり食い込んだ小さなトゲを抜く。

「たまには様子も見にくるよ。そのついでに花を入れ替えるんだけど、みんな気付かないだけさ」

「・・・気付かないと思います、その格好では。せめて名札くらいして下さい」

「これかい」?

先生は首にかけてある黒紐を左手で引っ張って、エプロンの内側から名札を取り出した。


花に引っかかるんだ」

と言って、またエプロンの内側に名札を差し入れた。



トゲを抜いたあとに消毒液を吹き付ける。

先生の手は肉厚で、とても柔らかい手だった。傷だらけなのに古い傷はなかった。

「あれだけ水を使うのに、荒れないんですね」

「うん、いいハンドクリームがあるんだ。冬場は特に必需品だよ。白瀬君にも一本あげる」


「・・・いりません。必要ないので」


部屋を片付けながら達彦が山崎に言っていた。

「山崎は尻だけだろうけど、俺は手も尻もだ。せっかくゆっくりしようと思ってたのに」


先生がハンギングバスケットの花も替えるからと、残っている花の中から入れ替えた。

アイビーゼラニウム。ツタに似た形の葉で花は大きめのパープルレッド。


「ハッピーフェイスだよ。名前の通り明るくて楽しそうだろう」



アイビーゼラニウムのハッピーフェイスが僕たちの真上で揺れる。

しばらく先生はそれを嬉しげに眺めていた。

そんな時の先生の表情は人懐こい少年のような笑顔だ。


花言葉は友情―。


もちろん先生は知っているけれど。







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